明石市長の泉房穂氏の暴言が話題となっていますね。
泉房穂氏は生い立ちが壮絶との噂もありますが、どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。
泉房穂氏は弟との絆が強く、政治家になった理由も弟が関係しているんだとか。
今回はそんな泉房穂氏についてまとめました。
この記事でわかることはこちらです。
- 泉房穂の生い立ち
- 泉房穂の弟との絆
- 泉房穂の政治家になった理由
それでは早速本題へ入っていきましょう!
泉房穂の生い立ちが壮絶?
泉房穂氏の生い立ちは壮絶だったと言われています。
泉房穂氏は明石市でタコ漁を営む漁師の家庭に長男として生まれました。
父親は小卒、母親は中卒でインテリではなく、貧しい家庭だったそうです。
泉房穂氏は4歳下の弟が障害を持って生まれたため、幼少期を傷害のある子供たちやその親御さんたちと過ごしたそうです。
当時は障害者が集える場所はありませんでした。
ですが弟のために何かできることはないかと考えていたそうです。
そんな中でも小学校から高校までの少年時代は野球・サッカー・柔道・ラグビー・生徒会に明け暮れていたそうです。
泉房穂氏はスポーツ万能な優等生だったのですね。
泉房穂氏の生い立ちは苦労もあったかもしれませんが、充実した子供時代だったのではないかと思います。
泉房穂の生い立ちが壮絶?|弟との絆がすごい!
泉房穂氏は弟との絆が強いと思われます。
泉房穂氏は両親に代わって弟の学校の送り迎えを全てやっていたそうです。
泉房穂氏の弟は障害があったため、当時の明石市は歩きにくいから地元の小学校には行かせてくれないと言ったそうです。
その後何とか両親が交渉して条件付きで地元の小学校に通えることになりました。
その条件が「送り迎えの全責任を家族が負うこと」「何があっても学校を訴えないこと」の2つです。
そのため、泉房穂氏が仕事で忙しい両親に代わって送り迎えの全責任を負っていたのですね。
小学生の少年が足の不自由な弟を毎日送迎するのは想像以上に大変なことだったと思います。
2人分の荷物を背負い、きっと辛いと思ったことも何度もあるのではないでしょうか。
しかし泉房穂氏は常に弟目線でいることを心掛け、弟の気持ちに寄り添っていたそうです。
弟ことが大事で可愛かったのでしょうね。
弟さんからしても優しくてとても頼もしい自慢の兄だったことでしょう。
お二人が強い絆で結ばれていたことが伝わっていきますね。
泉房穂の生い立ちが壮絶?|政治家になった理由
泉房穂氏が政治家になった理由は生い立ちや弟さんにあるようです。
泉房穂氏は弟さんが地元の小学校に通えないと言われた時、激しい怒りを覚えました。
さらに弟さんの学校の送り迎えの際、世の中はこんなに冷たいのかと思ったそうです。
その時の気持ちがすべての原点になっているようですね。
理不尽な世の中を自分の手で変えたいと思ったのでしょう。
そのために猛勉強して東大に合格し、弁護士を経て政治家になりました。
ご自身が生きづらいと感じた少年時代が政治家を志した理由だと思われます。
子供に寄り添える街づくりのために尽力されてきた泉房穂氏。
今回暴言問題で政治家引退を表明されましたが、今後も違う形で世の中に貢献し、政治を良くしていきたいと話しています。
泉房穂の生い立ちが壮絶?|まとめ
今回は「泉房穂の生い立ちが壮絶?弟との絆がすごい!政治家になった理由とは」と題しまして、明石市長の泉房穂氏についてお伝えしました。
泉房穂氏の生い立ちが壮絶と言えるかは分かりませんが、苦労も多い少年時代だったのではないかと思われます。
泉房穂氏は弟との絆が強いということが分かりました。
泉房穂氏が政治家になった理由は自分の手で理不尽な世の中を変えたいと思ったからだと思われます。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
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